「リテラシー」(literacy)という言葉をこのごろよく見たり聞いたりします。
そもそもは「読み書きする能力」という意味だったのですが、そこから転じて、情報を分析して理解
し活用する能力、といった意味になっています。
英語圏で、この言葉の使い方が変わり、それが広まった、というべきで、いわゆる「和製英語」と
いうのとは違うようです。
たとえば「ネットリテラシー」
インターネット上の情報は膨大で、かつ玉石混交です。
何が正しくて、何が間違いなのか、情報を分析して判断する能力が必要です。
そうして得た正しい情報を活用して、ネットを利用する。
たとえば、新たなwebサイトを作る。
たとえば、新たな利用法を考える。
ネット上の詐欺サイトに騙されないようにするにはどうすればよいか、提案する。
などの能力が「ネットリテラシー」です。
ほかに、
「情報リテラシー」
「メディアリテラシー」
「科学リテラシー」
「環境リテラシー」
というように使われています。
それぞれの分野で、情報が溢れている現状があるからこそ使われるようになった言葉が「リテラシー」です。
大量の情報に流されない、簡単に信じ込まない、まず「踏みとどまる」意識を持つこと。
情報社会への危機感は、この世界のあちこちで出てきていますし、だからこそ「リテラシー」という
言葉が使われるようになったのです。
またこの言葉は上記で述べたように、様々な分野を表す言葉と簡単に結びつきます。
「科学リテラシー」の欠乏?
いま、アメリカでも日本でも「科学リテラシー」の低さが問題になっています。
原発の問題、遺伝子組み換えの問題、環境の問題などで、正しい知識を持たずに、偏見や思い込みで行動したり、結論を出してしまうのです。
「科学リテラシー」の低さは、学校教育の問題でもあります。
実験や観察を通して分析し理解する能力を育てられるような教育がされてきたか、も大きな
問題です。
今、文部科学省のHPを見ると、「科学技術リテラシー」の重要性が掲げられています。
今後の社会生活では専門家だけでなく,個々に問題に直面したときに科学的な判断を下さなければならない場面が予想される、として「科学技術リテラシー」が必要であるとされているのです。
まとめ
メディアの情報も、ネット上の情報も、意図されたものである以上、自分で判断する必要がどんどん
大きくなっていきます。
ですから「リテラシー」が必要とされるのは当然の流れです。
そういう意味で世界中で「リテラシー」という言葉が使われるようになったのは、現代社会を生きる
上で重要な能力であると認知されたからです。
情報を得るばかりでなく、取捨選択できる能力を身に付けることがますます大事になってきますね。
Originally posted 2017-01-08 01:27:15.