今も生きる「枕詞」? 万葉時代から続く継承。

枕詞というと、何を思い浮かべますか?

百人一首の好きな人は、いくつかすぐに浮かぶと思います。

 

たとえば、

 

あしひきの・・・やま

(あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む・人麻呂)

あおによし・・・なら

(青丹よし寧楽(なら)の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり・小野老)

たらちねの・・・母

(たらちねの母がつりたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども・長塚節)

 

枕詞は次に来る言葉を連想させる言葉であり、おそらくまだ歌を詠みあげていた頃には特に必要な技巧だったでしょう。

ですからほぼ万葉集の時代に、古事記や日本書紀の地名に関わる修辞語などを参考にしながら、人麻呂などによって作られたものと思われます。

それが平安以後にも和歌の技巧として受け継がれたわけです。

「たらちねの」という枕詞はむしろ近代になって斎藤茂吉や長塚節によってうたわれた歌によって有名になった珍しい例かもしれません。

ただし「たらちね」とは「垂乳根」をイメージして年老いた母をさすのか、といわれがちですが、そうではなく意味不詳である、とする説もあります。

しかしイメージとしてはやはり年老いた母がぴったりしそうですね。

和歌、とくに短歌は五七五七七と語数が少なくて、最初の五文字を枕詞に費やすのはどんなもんか?とも思われますが、枕詞には、それまでに使われてきた多くの名場面のイメージの集積があるために、かえって効果的な表現となったといえます。

またそういう過去の歌を知っていることが必須の教養でもあったので、枕詞をうまく使いこなすことが歌読みの技術でもあったのです。

 

 

今も生きる「枕詞」的な導入語?

 

 

後に続く言葉、もしくは内容を予期してもらい、円滑に会話を進める方法として、最初に使われる導入語があります。

たとえば、

恐れ入りますが

恐縮ですが、

申し上げにくいのですが

などは、次におそらくお詫び、もしくは断りの言葉がくると予想されますね。

いきなりの断りでなく、相手に予想してもらい、こちらも話がしやすい状況をつくる、という意味では、双方にこういう言葉の役割についての知識が必要です。

これが日本語における技法であり、万葉の時代にまでさかのぼる日本人の知恵でもあるのです。

 

これは書き言葉ではなく、声に出して初めて(会話として)成り立つもので、だからこそ万葉時代の歌を詠みあげる時の技法が生きていると思うと、一言で「日本語」と言い、或いは「日本語を学ぶ」ということの奥深さを感じるのです。

 

ただ単に意思を伝達するだけでなく、どうやって円滑にそれを行うか、そこに書き言葉とは違う「話しことば」の技法があるのです。

 

毎日の話し言葉にも、日本古来からの歴史が生きていて、無意識にせよ、我々はそれを使って日常を生きています。

暮らしを通じていつのまにか身についた『教養(?)』

けっきょくは,このような無意識の伝統の継承が日本と日本人を支えているのでしょう。

 

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