柿本人麻呂・・・「伝説」の歌人??

人麻呂は憶良。赤人よりもひと時代前の人です。

「奈良時代」というよりも少し前の時代というのは、

天皇の系図でいえば、

天智⇒天武⇒持統⇒文武⇒元明⇒元正⇒聖武⇒孝謙(称徳)と続くうちの「天武」のころにの頃に歌人として活動し始め、「持統」朝において活躍したといわれていますが、実のところ表の歴史には全く登場せず、「謎」の存在です。

 

 

神社にも祀られる存在・人麻呂

 

 

今も知られる有名な歌といえば、

●東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ (巻一・48)

●あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む

でしょうか?

しかし、「あしひきの~」は人麻呂作ではなく「先者不詳」らしいのです。

百人一首で有名な歌ですが、そもそも和歌の評価というのは「誰」が評価したかによって左右されがちで、たとえば家持が、のちには藤原公任が高く評価したのが人麻呂です。

万葉集でも古今集でも「人麻呂」は高く評価され、「歌聖」と言われ「人麻呂神社」が各地に残っているほどです。

ただし、「歌聖」としてばかりでなく、『龍神』として祀られていたり、「安産」の神とされていたり・・・・、かなり適当ではあります。

 

当時から歌の第一人者として崇められていたのは確かで、いわゆる「言霊」伝説の実行者ともみられていたらしく、その歌の力は尋常ではない、と思われていたようです。

たとえば、

敷島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ まさきくありこそ」のような言霊信仰(?)なども読みとれます。

 

また、最近(?)では梅原猛氏の「水底の歌」で、罪人として死んだのではないか?とされていて、謎の多い存在であることが改めて思われるのです。

 

 

人麻呂の影響

 

 

万葉の時代の人として多くの長歌ものこしていますが、その長歌を受けた短歌の形式を形作った人でもあります。

枕詞,比喩,対句などの手法を,漢詩文の例をも摂取しつつ飛躍的に発展させ,『万葉集』の歌を一挙に頂点まで引きあげた観がある

⇑「コトバンク」から引用。

 

特に[枕詞」については、のちの和歌集への万葉集の影響が大きく、人麻呂の独特の感覚が長く継承されてきた、と言えるでしょう。

 

人麻呂は憶良や赤人よりもやや前の時代の人であり、「言霊」が生きていた時代を生きた人でもあるでしょう。

それゆえに、家持や公任といった後世の歌人に、ある意味畏怖され、ある意味尊敬されてきたのかもしれません。

 

「言霊」が生きているとして、それを神に届け、とばかりに朗々と読み上げる歌人の姿。

それは美しく、威厳に満ち、かつての「シャーマン」のような尊敬を集めたのではないでしょうか?

 

そういう意味で「和歌」は祈りでもあり、個人の詠嘆を超えて存在するものへと、家持や公任によって、押し上げられたのかもしれません。

人麻呂こそは、(謎が多い存在であったことも含めて)偉大な歌人として挙げるにふさわしい存在だったのでしょう。

 

 

 

 

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