コロナ禍でようやく徹底されてきた、と思われること。
「間隔をあける」
たとえば、買い物に行けば、店内放送で「間隔をあけましょう」と注意喚起。
レジに並べば、足元には「間隔」を示すシールが貼ってあって。
「外」でも、ある程度の「間隔」を開けるのが定着してきたように思われます。
道を歩いていて、すれ違う時、互いに意識して「間隔をあける」ようにしていると思いますね。かなり実感します。
河川敷の公園でも、以前は気になっていた密着が減ったように見受けられます。
かなり「間隔」をとっている。
スーパーなどでは「マスク着用」を呼び掛けていますから、マスクをしていない人はあまりいません。
まあ、それでも時々マスクをしていない人がいますね。
ほぼ「おじさん」
歩いている人を見ると、夫婦で歩いている場合、かなりの確率で「夫」がマスクをしていない。
マスクが無いわけではないと思います。
奥さんはマスク着用していますしね。
こういうとき、女性の方が素直にマスクをしますが、男性はちょっとそうでないような・・・・。
自分は人に迷惑をかけない、と思いこんでいるのでしょうか?
そういう甘い考えが周りに迷惑なんですけど。
この人マスクしてないわ、という冷たい視線に気づいた方が良い、と思いますね。
あと、いまだに稀に、「隣の席」に座ってくる人がいます。
これも、ほぼ「おじさん」
ある種の嫌がらせか?と思うくらいに、平気な顔でやってきますね。
これはどういう心理なのか?
かなり意味不明です。
自分は大丈夫だから、人の迷惑にはならない、と確信しているのでしょうか?
まさに「根拠のない自信」というもの。
このような無責任さ、ひとりよがり、ある種の頑固さ。
そういう態度は精神の柔軟さが失われて居ることの表れであり、一種の「老化」でもあることに、もっと気づくべきでしょう。
「コロナ離婚」という言葉がはやりましたが、このような夫側の態度に愛想をつかす例が多いとか。
パチンコがやめられないのは「依存症」らしいですが、そのような「ギャンブル依存症」には100%同情しませんね。
そんな病気は早く治して、まともになって欲しいですし、自分だけで終わるものではなく、家族や周りの人の迷惑を考えるべきでしょう。
「密着を避ける」というのは、これまでの社会の在り方の変革につながります。
海外で「ハグ」が危険という意識がたかまり、結果これまでのような「挨拶」「礼儀」の習慣を見直すようになったとすれば、それは必要なことでしょう。
会社に出勤しなくても仕事ができる、というのなら、そういう体制に今後はなってゆくでしょうし、必要な人材とそうでない人も次第に明らかになるのでしょう。
コロナ禍はすぐには収まるとも思えませんから、社会生活の再スタートにあたって、これまでの生活や習慣を見直す良い機会といえます。
そこに「人」は必要かどうか、職種によって違うでしょうが、そういう見極めというのか、必要か不要か、という判断が今後は重要ですし、「個人事業主」に当たる人は、ある程度のセーフティガードになるような「副業」を持つとか、自分を守るための手段を探すべきでしょう。
社会は必要に応じて変容していきますし、それに対応できる柔軟さがないと今後はやっていけないでしょう。
コロナ禍は、ひとつのきっかけにすぎません。
これをどう生かすか。
よく考えておきたいものです。
Originally posted 2020-05-13 01:23:59.