「五月雨」を考える・・・日本語のリズムとは?短歌と俳句

五月雨をあつめて早し最上川(芭蕉)

五月雨や大河を前に家に二軒(与謝野蕪村)

「五月雨」の句としては、やはり芭蕉の句が有名?のようです。

蕪村の句は正岡子規が『写生』という観点から芭蕉の句よりも優れている、としたもので、その意味で有名になりました。

大河のほとりに二軒の家が並んでいる、という情景が絵画的でよい、とでもいうのでしょうか。

 

しかし、俳句の優劣というのはわかりにくい、というのか、好みの問題というのか、つまり「誰が」評価したのか、によって違ってくるように思われ、どちらがいいのか、というふうには決められない、と思います。

 

「五月雨」は五月の季語ですが、もちろん『陰暦』の五月になりますね。

 

そもそも『五七調』とは?短歌は「長歌」の一部だったのです。

 

 

万葉集では長歌がまずあって、その最期に「反歌」がつけられていました。

「長歌」は五七五七の繰り返しで、最期に五七五七七の短歌で終わるのです。

たとえば、こんな感じ。

山上憶良

天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放(さ)け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は

反歌 田子の浦ゆ 打ちて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける

この「反歌」が独立して「短歌」となり、以後の「古今和歌集」からは長歌が無くなります。

田子の浦の歌は有名ですね。

長歌は上記のように五七五七の繰り返しでできています。

ラストは七七です。

基本、歌は読み上げらるものであり、リズムが大事だったために、五七調になったのです。

ただ、長歌はまわりくどい、というので、もっとシンプルで分かりやすい短歌が主流になってゆくのですね。

 

 

短歌と俳句

 

 

五七五七七の短歌をさらに短く五七五にしたものが俳句です。

短歌が平安時代から長く愛されたのは貴族社会の「教養」がモノを言った、と言うことが大きいでしょう。

つまり昔の言い伝えや、言葉から連想する出来事などが分かっていないと和歌は十分には理解できませんし、作ることも難しいです。

しかし「俳句」は江戸時代に町人文化として発展したので、短歌よりも自由な発想で作れたのです。子規が『俳句」と呼ぶ以は「俳諧」といわれていました。

たとえば、

古池や 蛙とびこむ 水の音 (芭蕉)

めでたさも ちゅうくらいなり おらが春)(一茶)

われときて 遊べや親の ない雀(一茶)

 

赤穂浪士の仇討では「句会」で吉良の情報収集、というエピソードも

ありましたね。

そのくらい「俳諧」は町人の文化的遊びになっていたのですね。

しかし、「武士の「辞世の句」はやはり短歌でした。

 

風さそふ花よりもなほ
我はまた春の名残をいかにとかせん (浅野内匠頭)

 

 

短歌も俳句も(長歌も)言上げするもの、つまり声に出すもの

 

 

万葉の昔から、歌は多くの人の前で「詠まれる」ものでした。

その独特のリズムは現在の「歌会始め」にも残っています。

この「声に出す」ことが、意思表明ともなり、願いともなって、「言霊」信仰とも重なり、日本の文化を支えてきている、と言えるかもしれません。

 

 

Originally posted 2020-05-09 22:47:46.

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