6月15日は「青葉祭り」 知ってますか?

「青葉祭り」というのは空海の誕生日を祝う祭りです。

仙台の「青葉祭り」とは違いますので混同しないでくださいね。

仙台の「青葉祭り」は伊達政宗の命日(5月16日ごろ)に行われ、今では仙台三大祭りのひとつになっています。

三大祭りというのは、この「青葉祭り」と「七夕まつり」「松焚祭り」のことです。

やはり「青葉祭り」と言えば仙台のようですね。

「七夕祭り」は有名ですし。

松焚まつり(まつたきまつり、と読みます)は知りませんでした。

これはいわゆる「どんと祭り」で1月14日に神社の境内などで正月飾りを焼く祭りのこと。

「どんと」は全国にあるようですね。

仙台では、このとき、市内にある大崎八幡宮に参拝するために歩いてゆく「裸参り」が特に有名だそうです。

裸というのではなく、白さらしを体に巻き、白足袋、わらじで歩くとか。女性は羽織一枚はOKだそうですよ。

 

 

では高野山の「青葉祭り」とは?

 

 

そもそもこれを知ったのは日めくりカレンダーに載っていたからです。

6月15日に「弘法大師誕生会」とありました。774年に誕生しています。

日めくりは、めくり忘れることも多いのですが、たまにさまざまな知識を得ることができます。

さらにこの日の朝のニュースでもとりあげられていて興味を持ちました。

すなわち、高野山の大師教会に150人の僧侶が集まり、お経を唱える。その後、僧侶と、地域の人達1500人が空海の少年時代の像を乗せた「花御堂」という神輿を囲んで町内を練り歩く、と紹介されていました。

 

僧侶たちが高野山で一斉に読経を来ない、地元の町では、「青葉祭り」の行列が出て、大人も子供も参加します。

⇓ こんな感じ。

「青葉祭り 無料画像」の画像検索結果

たまたまこの時期に高野山に参っていた人にとってはラッキーなことですね。

 

でも「空海」って?

日本史で空海・最澄については学んだと思いますが、簡単に復習しておきましょう。

 

 

「空海・弘法大師」とは?

 

 

空海・最澄は遣唐使に従って唐に行き、最澄は比叡山延暦寺を建て天台宗を開き、空海は高野山金剛峰寺を建てて真言宗を開いた、と中学の歴史で学んだはずです。

この二人は同じ遣唐船に乗り804年に入唐します。空海30歳、最澄37歳。

平安遷都が794年ですから、平安初期ですね。

一年後、最澄が帰朝。さらに一年後、空海帰朝。

年齢は空海が7歳ほど若く、平安前期の仏教をこの二人が築いたわけです。

ただし、いち早く「密教」を取り入れた真言宗が貴族に広まったため、まずは真言宗が隆盛になったようです。

 

 

空海は「弘法大師」と言われるように、、書に優れていました。

この当時の書(唐風の書道です)の名手とされたのが「三筆」

すなわち、空海・嵯峨天皇・橘逸勢です。

嵯峨天皇は在位804年~823年、まさに空海・最澄と同時代人ですね。

 

橘逸勢は、譲位して嵯峨上皇となった嵯峨天皇の死後、842年に藤原氏の策略で陰謀に加担したとされ流罪になります。

この時代、藤原氏はまだのちの全盛期には程遠く、勢力を伸ばしつつあったときです。

この時代を扱った小説も多く、興味深い時代でもあります。

 

 

空海を描いた小説など

 

 

空海にはさまざまな伝説があります。

宗教の開祖にはよくあることです。

宗教については自分にはあまり知識がなく語るべきこともありません。

 

空海を描いた文学作品として、

司馬遼太郎の「空海の風景」

夢枕獏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」

は興味深く読みました。

 

また、未読ですが、

陳舜臣の「曼荼羅の人」

その他多くの作品がありますので、もしも興味があればどうぞ。

 

まとめ

 

 

日本の歴史を考えると、日々の生活に組み込まれた行事がそのまま残り、続いていることがわかります。

 

宗教色とかにはあまりかかわりなく、生活の一部となって生き続ける先祖から受け継いだもの。

 

そういうものがしっかり生きているのが日本の暮らしの根幹だと思います。

 

今後、失われるものもあるでしょうし、新たに加わるものもあるでしょう。

それは時代と共に変化してゆく生活に即したものですから当然でしょう。

 

ただ、続いているのに知られていないもの。

一部の人だけで守られているものもあります。

 

身近なところに生きている伝統、今まで知らなかった知識。

そういうものに少し興味をもってもらえたらなあ、と思っています。

 

 

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